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Note

「M/OTHER」の撮影にあたって 〜「映画撮影」より

シナリオ主導コンテ優先の映画づくりでは、しばしば画面のフレームが優先される。カットの狙いによって、最上のアングル、最上の照明、最上の録音が決められる。こうした一切は「M/OTHER」の現場ではあり得ない。とにかく俳優に自由が与えられること。つまり俳優がどこに行こうが、何をしゃべろうが、自由なのだ。リハーサルと本番が違うのは当たり前。本番テイク毎にも違いはある。

さて・・・どう撮影しようか? 自分にとってそれは、何を撮るか?が先であった。まず映画で何を撮りたいのかを考える。どう撮るのかは、何を撮るのか決めれば、自然に生まれるものではないのか。

この作品は30ページの構成台本でほとんど順撮りで撮影され、その撮影設計は事前に綿密に計算されたものではなく、俳優とキャメラとの自由な関係性から生まれたものである。

即興によるセリフと芝居はそのフィルムが回っている時間こそが生きている瞬間で編集の素材撮りのためにカット割りすることがなく、基本的に1シーン1カットである。そのためにシーンがだれないようにフレームの中の世界より外の芝居にも意識が集中するようにした。 俳優に対して動きの確認または要求をしない。もし私が「今のテストはこう動いたから次もそうですね。」と動きを確認したならば、俳優は相手役の俳優にでなくキャメラに向かっての演技になっていたでしょう。もちろんテイク毎に動きを予測してキャメラのポジションを決めた。また子役に対してはキャメラを意識させないよう気をつかった。近づき過ぎもせず、離れ過ぎもせずである。芝居の生々しさの邪魔をしないようあえてノーライトに近い照明の中で人物をシルエットにすることで顔の表情よりも心情を感じさせるようにした。

生き物のように変化して行く撮影は、各々の観客の感じ方をも変化させるという結果を生むことが出来たように思う。すべてをわかりやすく写すのではなく、見えない部分や写らない部分にこそ感じることができるのではないだろうか。

 

「M/OTHER」

1999年カンヌ国際映画祭[国際批評家連盟賞]受賞

1999年/カラー/モノラル/1:1.66 ヨーロッパヴィスタ/2時間27分

撮影日1998年6月26日~7月12日(撮影実数15日間)

プロデューサー/仙頭武則(サンセントシネマワークス)

監督/諏訪敦彦

照明/佐藤 譲

撮影助手/池内義浩・横田彰司・橋本彩子

FILM/KODAK VISION 320T(5277)   56,900feet 

機材/ARRIFLEX35BL3 アンジェニューHP×10ズーム

ツァイス・ファースト 18・25・35・50・85・135mm 

TIFFEN ローコントラストフィルター

タイミング/三橋雅之(IMAGICA) 

​「M/OTHER」の記録 演出部 西川美和 〜劇場パンフレットより

●1998年5月8日 メインスタッフ・ミーティング

 

プロデューサー、監督、撮影・猪本雅三さん、照明・佐藤譲さん、録音・菊池信之さん、美術・林千奈さんら、この時期に『M/OTHER』への参加が決まっていたスタッフがそろう。中には諏訪敦彦監督のデビュー作『2/デュオ』に引き続いての参加という面々もいる。その『2/デュオ』では、撮影を目前としてそれまでに書き進められていた脚本が捨てられて、俳優、スタッフともにわずかな物語のアウトラインのみを渡されて現場に臨んだのだ。全ての台詞はワンテイクごとに生み出され、用意されていた筋書きもそこに生じた展開にことごとく塗り替えられながら創られていった、従来の映画の手法を根底から覆す、まさに生き物のような作品である。

この映画もまた、どのようなものができるのかは作りながらたどってゆくことになるという認識と期待は、すでにスタッフに一致していたが、「『2/デュオ』との比較にはとらわれないで、全く新しい映画作りをまたみんなで試みてゆけるといい」と監督。全てのスタッフ・キャストによる共同作業が始まる。この映画の制作過程の中では、いつしか「メインスタッフ」という言葉が使われなくなった。

 

●5月中旬 メインセット・ロケハン開始

 

メインセットとなるのは言うまでもなく「男」と「女」の暮らしてゆく「家」である。「男」がかつて両親と暮らした家。かつての妻とともに我が子を育てた家。制作部が見つけてくる物件の中には、現代風の新築あり、旧家あり、豪邸あり、廃屋同様のものもあり、バリエーションに富み、それぞれにそれぞれの匂いが感じられる。監督は一件一件の床に、廊下に門扉の前のじっと腰を降ろしては煙草を吹かしつつ思案に耽っていた。どの家ならば「女」は一人で入ってこられるのだろう。

 

●5月14日 三浦・渡辺顔合わせ

 

「男」役に決定した三浦友和さんと、「女」役の渡辺真起子さんがこの日初めて対面。二人は簡単な挨拶を済ますと、早速物語の内容に話題を移していった。すでに渡されていたプロットへの感想や設定への意見や疑問など監督に対して率直に投げかけられる。よけいな慇懃さや曖昧な語句の行き交わされることのない、初顔合わせとしては意外なほど踏み込んだ話し合いに発展していった。

この後、三浦さんと渡辺さんは互いのスケジュールの許す限り幾度もスタッフルームに足を運び、スタッフとのディスカッションを繰り返すしてゆくことになる。当初「男」と「女」とは、恋愛関係にはならないがお互いに居心地の良さを感じて同居し始めるという設定であった。話し合いの最大の焦点は、どうすれば他人同士であるこの二人が一緒にいることができるのか、ということに終始する。この初歩的でありつつも物語の最大のテーマに対しての問いを繰り返しながら、二人の人物背景や設定はさまざまに想定され、変貌し、二人の俳優がキャメラの前で納得してその役を生きてゆくための模索は続けられていった。

●5月27日 新シノプシス発表

 

夕刻。スタッフルームに新たなシノプシスが監督からファックスされる。

物語は「男」と「女」が恋愛感情を持ってすでに同居しているという設定に変更されたのに加え、前妻の入院をきっかけに子供が家に入ってくるという、「事件」の明確な理由が作られた。

これを機に話し合いも再び仕切り直しとなる。監督は「『二人は恋愛関係ではない』というかせに縛られて人間関係が発展しないことから逃れたかったんです。一見均衡のとれたような関係から始めることで、事件やきっかけに変化していくコミュニケーションや、それぞれの有り様が浮かび出てくることを期待できるのでは」と説明した。これまで話し合いで育まれたことは、映画が始まる以前の二人の物語として蓄積されただろう。

設定の変更に両者驚きつつも納得の表情があった。恋人同士としての関係。「少し時間がもらえれば」と渡辺さん。「いいですね。喜んで。」と三浦さん。

 

●6月2日 スタッフ・ロケハン

 

国立市の、とある一戸建てにスタッフが集結した。

ロケハンは回を重ねられたが、難航気味であった。「一戸建て」という「家庭生活」と直結するイメージや、プライバシーの概念の希薄な日本の住居の間取りが、「男」と「女」という個人同士を生活させる場と結びつきにくかったためかも知れない。途中プロデューサーのアドバイスもあり、マンションに暮らすという設定に変更するというアイデアも浮上した。5月末に行き当たった国立の一戸建ては、元々は米軍基地に勤務するアメリカ人の住居として建てられた異色の洋風住居だった。物件を持ってきたスタッフは、この変わり種を苦肉の策の捨て石だったと話していたが、光の多く入る開放的なリビングや、個室の一つ一つが隔絶されたような間取り、そして薄暗い屋根裏部屋などが特徴的なその家は、それまでに見てきた日本的な一戸建てとは大きく趣が異なり、その異質さが「二人」にとっての自由な生活を許すような雰囲気を持っていた。家を見たスタッフも一様にその可能性を感じていた。

 

この広く開放的な一戸建ての中に俳優たちが入ってくる。

「これは動き回られちゃうなあ。」録音の菊池さんが苦笑混じりにつぶやいた。キャメラの視界から人物が消え失せてしまうかも知れない。マイクが音を拾えない場所まで逃げてしまわれるかも知れない。俳優たちが自由に動き回ることで撮影的な困難さが出てくるは容易に想像できたが、そのことで演技に規制を作っていくべき映画ではないことはわかりきっていた。

梅雨時期の薄曇りの光の差し込む居間にめいめい腰を降ろしたスタッフは、この場所にやがて訪れる日々を静かに想像した。

 

●6月6日 子役オーディション

 

目黒公会堂にて、「男」の息子役のオーディションが行なわれた。

小学校低学年の男の子が数十名集められ、グループで面接された。いくつかの質問にを投げかけて一人一人監督とやりとりをした後に、「母親が外出中、父親が一人いる家に一人外から戻ってきた場合」というシチュエーションのもとにエチュードを行なってみる。もちろん言うべきせりふは与えられない。緊張に言葉を発せられない子供もいれば、何かしら喋らなければ高揚してしまう子供もいる。

「俊介」を演じる高橋隆大君はこの時、肘枕で寝そべる父親役の助監督の正面に同じようなポーズで寝転がると、ぐるりと囲んでいるスタッフの存在をまるでないものかのように背中を向けたまま、父親の目を見ながらぽつりぽつりと会話をしていたのが印象的だった。しかし彼には以前に渡辺さんと共演した経歴があり、彼女のことを「見知らぬ女性」として認識する設定を受け入れられるだろうか、という一点が残されていた。この日の結果で候補者を数名に絞って、後日二回目の選考を行うことになる。設定をやや物語に近付けたエチュードを試みるが、そこで見せた隆大君の集中力と、卓越した設定の把握力にこちらの懸念は押さえられ、この日の内に息子役は決定した。

 

●6月9日 キャスト、メインセット下見・リハーサル決行

 

前日から飾り込を始めた国立のロケセットを、三浦さんと渡辺さんが下見に訪れる。「家」の中には様々な時のかたちが刻まれているはずだ。夫婦生活の痕跡、育児の痕跡、そして「女」という存在が持ち込んだ新しいかたち。想定しうるこの家の過去から綿密に逆算されて、現在の内装が形作られていく。実際にこの家の住人となる二人は空間をどうとらえるだろうか。二人が生きていくには不可欠なもの、不必要なものが、見えてくるかも知れない。美術デザイナーは、その反応次第でそれまでに描いてきた青写真を大きく変えてしまうこともやぶさかでなかった。

三浦さんと渡辺さんは、まるで実際の一組の男女が自分たちの住居を決めるように、互いに意見を交換しながら慎重に二人の家を見て回った。

二日後にこの場所で一回目のリハーサルが予定されていた。では仕切り直してまた後日、というところを遮って「今、ここでやってみればいいじゃない」と切り出したのは三浦さんだった。監督、スタッフもこの急展開に意表を突かれてしまったが、できない理由は何もない。プロットにもない、二人の日常の時間を自由に演じてもらうのはどうかという提案が出る。渡辺さんも、気持ちが出来上がり次第合図をするのでそれを見てスタートをかけてくれればいい、と受け入れてくれた。

一瞬にして空気の変わるロケセット内。じっと息を潜めるスタッフ。居間には「女」が一人寝転がる。声をかけ、ゆっくり傍に近寄る「男」。これからこの場所で「二人」の時間が重ねられてゆくのだ。

 

●6月22日 リハーサル

 

構成台本に設定された3つのシーンを試みた後、今度はずっと時間をさかのぼり、女が男の家に引っ越してきた日を想定して演じてみる。物語より、およそ1年ほど前という設定。この場面が実際に撮影されるということ予定は一切ない。ただ、この二人の間に存在したはずの時間を経験してみることで、お互いの「居かた」をつかんでゆくことが出来るかも知れない。

引っ越しの荷物整理が一段落して。その日から一緒に暮らすことになった二人は、寄り添って言葉を交わし始める。

「変な気分。どこにいたらいいのかまだ分からない」

「だんだん慣れていくだろう」

「家賃はどうしたらいい?」

「家賃はいいよ。光熱費をいくらか負担してくれる?」

「食事はどうしてるの?洗濯はどうしたらいい?」

「食事は外食だな。洗濯は・・・。表札はかけようか?」・・・・・・

二人の俳優が互いの呼吸を確かめながら、「男」と「女」の舞台に立ってこのようなたあいのないやりとりや些細な決めごとをしてゆく中で、それぞれの姿は話し合いの席でのイメージを超えてさらに肉付けをされてゆく。撮影以前からだからこそ挑戦できる貴重な試みだった。

 

●6月24日 リハーサル

 

クランクインを目前に、最後のリハーサルが行なわれた。

急きょ決行された初回を含めると計七回に渡ったリハーサルでは、構成台本の中のシーン以外にも、二人が過ごしてきた「映画」以外の時間や、考えられる様々なアクションが試みられ、それぞれのありかたや関係が具体的に探られてきた。二人の俳優は、この頃にはプロットに仕組まれた以上の互いの習癖や個性をつかみあっており、内容的な意見の交換から日常的な冗談に至るまで、向かいあって交わすようになっていた。

途中幾度となく「(キャメラを)回せばよかった」と惜しまれるような生き生きとした場面が存在し、時間が足りないかと心配していたクランクインが待ち遠しいような雰囲気が漂った。すべての準備は大詰めにあり、二日後、いよいよキャメラのスイッチが入る。

 

●6月26日 クランクイン

 

約一ヶ月半に渡るミーティングやリハーサルを経て、構成台本も書き重ねられ、クランクインに望む。15日間の撮影期間の中に50余りのシーンはほぼその番号順にスケジュールに組まれたが、流れの展開によっては先々のシーン設定が変わってくることも考えられて、総合スケジュールには「あくまでも目安」と注が添えられていた。

白壁にうっすらと残る無軌道な流線の落書き。壁の向こうの洗面所の水の流れる音がする。女が仕事に出かけるこのトップシーンは、初日の一番手でもあった。この子供の落書きは、ロケセットの実際の過去の住人が残していったもので、ロケハンの時点からスタッフの目を引いていた。撮影の猪本さんは、常にまず演技のテストを見て、そのつどキャメラポジションを柔軟に決定していったが、唯一ファーストカットに関しては、この「家」の性格を語るのにふさわしいその落書きから始めたいということを早くから提案していた。

 

●6月27日 俊介がやってくる日

 

息子の俊介がやってきた夜の二人のやりとりのシーンが撮影されたのは、実際に俊介がこの家につれてこられたシーンを撮り終えて、日がどっふり暮れた後だった。二人にとってそれまでに適度に感じられてきた距離関係のバランスが崩れてゆくことを予感させる場面である。この場面も幾度もリハーサル、テストが重ねられ、二人のやりとりや感情のあり方も様々に試行錯誤されてきたが、最終的には千フィートのフィルムが一本ほど回り切ってしまうだけの時間をかけて、会話的な展開も荒ぶった感情の表れも殆ど見られないまんじりとした演技に行き着いた。

ワンシーンの中に何も起こらないこと、決着のつかないことに演技者もスタッフも、共に戸惑いと不安を感じた。しかしこのテイクに流れたような、意味的な事件性も言葉も、激した感情も発せられない時間の中にこそ、生々しい「人生」の空気は捉えられ、この映画はOKが出されゆく。

 

●7月2日 ホーム・パーティ

 

男の主張中、女の友人が子供連れで家に遊びに来るというシーンの撮影。石井育代さんの演ずる友人は、結婚後仕事を辞めて家庭で子供を育てる女性という設定である。二人の兄弟は、育代さんの実の息子で、隆大君との顔合わせはこの日が初めてだった。三人の子供達は料理やおもちゃを囲んで、キャメラの前でみるみる打ち解けてゆく。一時も止まない黄色い声の中で、異なる生き方を選択した二人の女の会話が交わされる。哲郎や、俊介と一緒の時とはまた全く違う、アキの言葉や表情が浮かび上がってくる。

 

●7月4日 後片付け

 

毎朝同じ「家」で顔合わせ、長い時間を共に過ごす。実際に三浦さんと、渡辺さんと、隆大君との間にも、ひとつの関係が育まれてきていた。気がつけば隆大君は二人の傍にくっついて座っている。隆大君の遊ぶゲームを二人がのぞき込む。緊張した話し合いをふざけて遮るのをどちらかが叱る。この三人の間にはいつのまにか家族的な温度が流れてきていた。

一方で「男」と「女」と俊介との生活の中に出来てきたある種の均等のようなものに対して、女は微妙なストレスを推積させてゆく。この日は、夕食の後片づけをしながら、初めてそれがあらわになってしまう、というシーンの撮影が行なわれた。物語の中の関係と現実の中に出来た関係は、重なりながらも、微妙にずれている。「抗おうと頑張るのに、三浦さんに受けとめられると感情が収まっていってしまう」渡辺さんが悔しがる。「男」の内面、「女」の内面は充分それぞれに捉えられつつも、「三浦友和」と「渡辺真起子」の間には爆ぜてしまうような怒りや苛立ちの感情が成立しないこともある。二種の関係が、決して切り離すことが出来ないだけに、俳優はそのズレに苦しんでゆくことになる。

 

●7月6日 結婚の話

 

撮影も中日を超え、三人の暮らしも佳境に入る。クランクイン前は、二人の関係の流れによっては構成のプランが崩れくることも予想されていたが、スケジュールはほぼ予定通り、ストーリーが反らされてゆくこともない。通常ならばそれが当然の進行と言えるが、特に前作を経験したスタッフの間には、ストーリーラインが壊れて行かないことへの違和感さえ走っていた。

この日の夜は、疲れた果てた女の部屋に、男が入ってくるシーンが撮影された。結婚の話を持ち上げる男。理由を問う女。その問いかけを問う男。問に問が重ねられ、二人の間には行き詰まった沈黙が流れてゆく。もはや構成台本に想定されていたこのシーンでの会話内容は完全に飛び越えられて、ただ、実際の二人の間に成立するしかないやりとりが生み出されている。この撮影においては、もはやストーリーを破ってゆくことよりも、そのシーンの時間をいかに人物が生きるのかということの模索に焦点が当てられていたのだ。

 

●7月9日 激しい雨

 

日中に、俊介の誕生パーティを撮影した後、雲行きが怪しくなり、雨が落ち始める。夜には、女に家を出ていく意思のあることを知った男が苛立ちをあらわにし、二人が衝突する緊張したシーンの撮影が始められる。準備にかかる頃には外は激しい雷雨になり、大きな雨音と稲妻が絶えなくなった。梅雨時期というのにこれまで撮影に指し障るような雨に見舞われることもなく、三人でキャンプに出かけたシーンの本栖湖ロケの日には真夏の快晴が広がったり、ロケは天候に恵まれた。まるで映画の進行を読んでいるかのようなその集中豪雨だったが、「『稲妻はやりすぎ』と人に言われそう」と照明の佐藤さんは笑っていた。

長い二人の格闘は一本のフィルムの尺を優に超えた。そこで、もうワンテイク始めからトライして、撮りきれなかった後半をの部分はよきところから拾い始める、という手段をとった。キッチンからダイニング、リビングから女の部屋へともつれ合いながら動く男と女。35ミリキャメラを手持ちにそれを追う猪本さん。その背後から見据える諏訪監督。そしてピントマンとマイクオペレーターの一人ずつを除いたほか全てのスタッフが、じっと耳だけをすまして空部屋に閉じこもった。

 

●7月12日 クランクアップ

 

「家」からは再び俊介がいなくなった。どんなにはしゃぎ回っていても、スタートの合図と共に驚くほど気持ちを切り替えることの出来た隆大君だったが、「家」を去る演技を最後に出番を全て終えるという段には、相当にナーバスになっていた。

ラストシーンのみを残して、最終日の朝を迎えた。初日から2週間余りが経ち、7月も中旬にさしかかりながら、未だ梅雨の気配が抜けず、薄曇りの午前の光の具合はトップシーンの時によく似ている。回したフィルムは6万8千フィート。全ての協奏はその中に焼き付けられたはずである。ここで起こされたことは何だったのか。それは撮影を終えてもなお霧中にあった。全ての人々がその先に問うてゆくものとして、永遠に残されるのかもしれない。

撮影報告〜独立少年合唱団 

「映画撮影」2000年145号より

撮影報告 「火垂」〜「映画撮影」2001.No.148より

撮影報告

「独立少年合唱団」

猪本雅三

 

「あれ、なんだっけ?」

幼くして母親をを亡くした少年・道夫の父が死の直前に口にした言葉「あれ、なんだっけ?」で始まる『独立少年合唱団』は、道夫が転校した全寮制中学校で、転校初日に偶然、音楽室で出会った少女のような面立ちの康夫との友情を中心に、1970年代という時代を背景に、四季をとおして合唱団の少年達の成長を描いた物語である。

1月下旬、緒方明監督と初顔合わせ。脚本の青木研次氏と共にドキュメンタリー「驚きももの木20世紀」のテレビシリーズを企画段階から参加したディレクターで、本作が映画デビューである。さすが、半年がかりで実在する寄宿制学校や合唱団を取材しただけあって、物語の中にうまく取り入れられており、膨大な資料や取材テープは、撮影時に非常に参考になった。そして我々にとってクランクインまでに本物の合唱団を育てることが最初のテーマであった。撮影期間は3月から11月まで4期間に分けてではあるが、まさにスタッフ、キャストの寄宿生活が始まろうとしていた。

 

「独立少年合唱団」結成されず!

2月上旬、『眠る男』や『月とキャベツ』の舞台にもなった群馬県吾妻郡の元廃校である伊参スタジオをスタッフ合宿所と決定し、その周辺をロケ地としてロケハンするが、最後まで難航したのが70年代に実在しそうな山中の橋であった。少年達が事件に遭うたびに出てくる象徴的な場所である。この橋が我々を最後まで苦しめるとは・・・・。

ロケハンと並行して少年達のオーディションが始まり、役づきの少年9名が決まる。クランクインまで1ヶ月をきり、第1期は、合唱のシーンをはずして、合唱団の結成は見送る。

暖冬のため、残雪のシーンは群馬でのロケは不可能と判断し、新潟までロケハンにいく。撮影日まで、雪が溶けませんようにと願いつつ、キャメラテストのため、東京に戻る。

 

 

 

 

 

 

PRIMETIME 640T+銀残し

70年代を背景に四季をとおしての少年達の成長物語ではあるが、美しい風景の中に生きる青春群像映画にはしたくはない。あくまでもあの頃の思春期に悩む少年達の体臭や感情こそが生々しく感じる事ができればと思い、いかにも70年代に撮影した映画がリバイバル上映された!ような調子を探ってテストをした。粒子を荒らす事と彩度を抑える事を考えて、色々試行錯誤した結果、スーパー16でPRIMETIME 640T(EK7620)をEI.320で露光しノーマル現像、ポジ現像にて完全に漂白処理を飛ばして(スキップブリーチ)、銀残しにした。もちろん単館上映である本作はダイレクトブローアップの35プリント時でのスキップブリーチ処理である。撮影中はキーリンクテレシネでラッシュ撮りチェックができなかったため、最初のナイトシーンでは、茶色い壁や机のツヤを強くしすぎて失敗した。それからは見たいシーンだけTPで35プリントをとってチェックした。キャメラは控えめに人間を見つめることを肝に銘じる。

 

雪がない! 第1期 ~立春~

新潟のロケは何とか雪をかき集めて、ごまかせたものの、群馬での道夫が初めて独立学院に向かうメインタイトルがのる、橋のシーンでは残雪もほとんどなかった。切り返しのカットは場所を盗んで、背景の暗部に雪をおき、道夫がフレームアウトしたボケの空絵が我々の行く末を暗示しているようである。

 

「ポンコツ少年合唱団?」結成!

第1期の撮影が終わり、第2期まで2ヶ月。元合唱部、子役俳優、素人など20数人の混成合唱団が結成され、毎週の合唱トレーニングが始まる。合唱指導の清水先生のもと、少年達は、10分も立っていられず、現代っ子の体力の無さを感じる。2時間のレッスンも次の週には、テンションが落ちて、またゼロからの出発である。緒方監督も我々スタッフもあせりを感じ、ただやらせるのではなく、少年達の意識を変える事が必要と気づき、取材テープやドキュメンタリーのビデオを見せて、彼らのモチベーションを高め、牧師役の香川照之さんもレッスンに参加する。この頃には緒方監督も立派な合唱指導の先生になっていた。

 

合唱と雨と爆破! 第2期 ~立夏~

特訓の甲斐があり、合唱練習のシーンもドキュメンタリー的な迫真の場面が撮れたように思う。バス、バリトン、テノール、のパート別メンバーの顔もすっかり覚えて、少年達の性格までわかるようになってきた。

岡本喜八監督が学院長役で出演している農場の雨のシーンではあいにくの晴天だったため、太陽が山陰に落ちるまで待って、日没の天空が落ちきるまでのわずかな時間を狙って、雨を降らして撮影した。

少年達に影響を与える謎の女のダイナマイトでの自爆シーン。手持ち撮影をフルに活用し、銀残しの効果によるハイコントラストとパトランプの赤が緊迫感のある場面にしたと思う。

そして合唱団にとっては、第3期のクライマックスシーンに向かっての特訓がまた1ヶ月半続くのであった。

 

さよならポンコツ合唱団! 第3期 ~大暑~

第3期最終日、合唱団にとって最後のシーンは、合唱コンクールの舞台上であった。この時期がこの作品中で最も長い撮影期間であり、ここでは語りきれないような数々のエピソードがあった。今時の中学生30数人を相手に半ば軟禁状態で、撮影がスムーズに行くわけがない。本番前日、彼らは今まで自分達の未熟さを反省したのか、就寝時間が過ぎても「ポーリュシカポーレ」を自主的に歌っていたのである。撮影当日、彼らは、合唱指導の清水先生のもと、リハーサルで歌うのだが、真夏日のクーラーもない室内で暑さにやられたのか、一人二人と次々に倒れて行くではないか。現場でのプレイバック録音は、欠員がいる中でなんとか終わらせた。本番は、全員が揃ってからはじめてキャメラがまわった。

出演した少年達は物語だけでなく、現実の撮影現場でも様々な出会いを通して成長していったようにみえた。

 

本物の成長?! 第4期 ~立冬~

10月下旬、道夫役の伊藤淳史君と康夫役の藤間宇宙(とうまそら)君は、映画『独立少年合唱団』の約8ヶ月の撮影をとおして精神的にも、肉体的にも成長しました。多分それが、この映画の一番の収穫であると思う。また、この映画に参加した少年達一人一人の表情や感情を撮影できた事が、技術者としてでなく、ひとりの人間として、一番嬉しかったことである。ラストシーンのみ、雨のため撮影延期となる。

 

また、雪が! 第4.5期 クランクアップ

11月17日、10月の延期から、天候の不順やら何やらで、やっと三度目の正直で決行となったラストの橋のシーンである。現場に来るとなんと!雪が積もっているではないか!ファーストシーンでは雪が欲しかったのに、雪が無かった。ラストは秋のシーン、何で雪があるのだ!・・・。雪を溶かしながらなんとか日没直前まで撮影。こうして延べ37日間の撮影が全て終わった。

 

ベルリンからの朗報

年を越して2000年2月。ベルリン国際映画祭で、日本から唯一コンペ部門に出品され、新人監督賞に当たるアルフレード・バウアー賞受賞の朗報が入る。

以前ウィーン少年合唱団関連の本で、「ボーイソプラノの変声前の輝きは、蝋燭が消える前の一瞬の輝きに似ている」というような文を読んだ事がある。失くしてしまったらもう二度と取り返せない。時間の経過には逆らえない。少年合唱は「永遠ではない」という特別な魅力を放っている。「ボーイソプラノの一瞬のはかなさと思春期のはかなさ」というテーマは、ドイツ人にも伝わったのである。それと同時に厳しい製作条件での我々の努力が報いたかと思うと、感無量である。しかし自分ではまだまだ反省する点が多々あるので、ぜひご覧になった方には、忌憚なきご意見を伺いたいのでよろしくお願いします。(今夏公開予定。)

 

プロデューサー/仙頭武則

監督/緒方 明

照明/赤津淳一

録音/細井正次

美術/花谷秀文

撮影助手/岩崎智之 橋本彩子

タイミング/三橋雅之(IMAGICA)

キャメラ/ARRI 16SR 3 (ナック)

フレーム/1.66 ヨーロッパヴィスタ

フィルム/Kodak PRIMETIME 640T(7620)

気持ちを撮る

「闇に浮かぶ命の炎をテーマにしたい」と、河瀬監督は言う。「火垂ーほたる」は、身近なものたちの死に直面した一組の男女(陶芸家とストリッパー)が、現実にほんろうされながら、ひたむきにお互いの愛を確かめ合おうとする物語である。奈良を舞台に一年間、移りゆく季節感を大切にしながら、人間の生と死を描く。死は終わりではなく、次の生につながっていく、そんな生きざまをしっかりと撮っていければ。この物語は、フィクションであるが、俳優たちに役柄をとおして撮影中はまた別の人生を生きているリアリティーを河瀬監督は求めた。撮影の数週間前から実際の舞台になる長屋に生活してもらい、近所付き合いはもとより、まさに衣・食・住まで、本物の奈良の人間になることから始まった。地元の奈良の方々と絡むシーンもあり、あやこ(中村優子)も大司(永澤俊矢)も撮影前には、近所の人から挨拶されるぐらいの奈良人になっていた。

河瀬監督とは、テレビ「ドキュメンタリー人間劇場」で、一緒に仕事をしており、そのとき部分的に監督自身が8ミリでまわしていたこともあり、今回も自分でキャメラをまわしたいという要望があった。私は、以前から、河瀬監督が自ら撮った「かたつもり」「につつまれて」「万華鏡」の瑞々しい映像に興味をもっていたので、これはおもしろそうだと、おおいにのった。35ミリキャメラということもあり、大半は私がオペレートしたが、女の気持ちを撮るときは監督、男の気持ちを撮るときは私がまわしたりと、シーンによって、臨機応変に臨んだ。こちらも、芝居と照明に集中できて、非常に良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全順撮り

芝居部分の撮影は完全順撮りで行われ、幼少の過去シーンから、クランクインした。プロの子役ではなく、地元のこどもをつかっての重要な場面である。あやこにとって、トラウマとなるぐらいのショッキングな設定。母親の浮気が原因で、目の前で夫婦喧嘩が始まり、父親が半狂乱になって、暴れる。まえもって、子役の女の子には、あえてシーンの説明はしないで、絵を描いて遊んでもらっているところに、夫婦をぶち込んで、いきなり、暴れだす。キャメラはびっくりして泣き出す女の子の表情を追う。父親は、母親をなじりながら、女の子にあたりだし、女の子は泣きながら現場を逃げ出してしまった!一発OK。(子役の女の子の現場経験がトラウマになってしまうのではないかと心配したが、後日、他のシーンでエキストラで、出てきて、元気に笑っていたのでほっとした。)その現場にはあやこ役の中村さんがこのシーンを目撃することで類似体験ができ、役者にとっても、スタッフにとっても、この作品の方向性が見えてきたことが、大きな収穫であった。台本にある設定・状況・感情をイメージされたものをそのまま再現するのではなく、現実味のある生活の中で生きている環境を与えることで、心の奥底から湧き出る感情や行動を引き出すことが、重要ではないか。そして、日々撮影が進むなか、台本にないシーンとシーンの間にある感情が重ねられていった。時には、役者の感情が流れ出すと、夜に撮影する予定だったシーンが、まだ明るいうちにまわしだしたり、台本にない日常のスケッチを急遽、撮影したりと、現場にいても休まる暇がなく、常にいつまわしてもいいようにアンテナをはって、まわすタイミングをはかっていた。

光と闇

松明の火の粉、夏の木漏れ日、蝋燭の灯、ストリップ小屋のミラーボール、土窯の炎、打ち上げ花火など、火と光にまつわる場面が多い。闇に浮かぶ命の炎が重要なテーマでもあるので、光と闇のコントラストをこれ見よがしに作り込んで、ライティングする事だけは、避けた。フイルムに炎がリアルな色に写るように露出を絞り込んだり、アンバーのフィルターをかけたりすることよりも、炎の照り返す陰影のはためきを生かした方が、はるかに魅力的に思う。あやこと大司が初めて結ばれる場面では、水の入った竹筒に蝋燭を浮かべて、炎の照り返しを殺さない程度に、ローベースを作った。当時出たばかりのVISION 800Tノーマル現像にて、T1.4で撮影した。蝋燭の炎は、二人の感情の高まりと共鳴するかのように微妙な陰影のゆらめきを創り出した。また、元興寺の万燈会のシーンでも、数千枚の灯明皿が地蔵の間に並べられたが、人工的な照明は施さず、余った灯明皿や蝋燭をあるだけ追加して置いてもらった。光量としては、決して明るくはないが、薄暗い中、地蔵が燈心のゆらめきによって見えかくれする。暗闇のなかに何かチラチラする陽炎のようなものがあるような気がして、いつも想像をかきたてる。それは、幽玄味だったり、色味だったり、いろんな事を感じてしまう。

 

 

 

凄まじい体験

99年3月のお水取り実景ロケから始まり、第一期は、梅雨の奈良町。第二期は、夏の和歌山、奈良、四国ロケ。第三期は、師走、大晦日から、2000年の正月までと、ラストシーンの若草山の山焼き。この年は、「独立少年合唱団」と交互に撮影しており、第二期の四国ロケハンに参加できずに迷惑をかけてしまった。また、現場での思いつきで、ロケハンした場所とぜんぜん違う場所に変更したり、地方だからわがままも通じたと思う。都内ロケでは冷たく注がれる我々への視線も、地方ではあたたかい。そして、製作過程では、決して順調とはいえず、いくつもの苦難があった。この作品に関わった奈良の人々に感謝するとともに、この難産だった子ども(作品)を早く見ていただきたいと思う。さきの完成披露試写会で、河瀬監督は「プレッシャーはありましたが、俳優陣が私のワガママを耐えて、素晴らしい人生を生き抜いてくれた」と出演者に感謝。永澤さんも「とにかく監督はケツの穴まで見せろという感覚の方なので、すさまじい体験をさせてもらった」と冗談めかして応えていた。

 

第53回ロカルノ国際映画祭 国際批評家連盟賞・ヨーロッパ国際芸術映画連盟賞受賞

監督 河瀬直美

撮影助手 岩崎智之 橋本彩子

照明 鈴木敦子

録音 木村瑛二

美術 部谷京子

タイミング 三橋雅之(IMAGICA)

機材 ナック、日本照明、NK特機

フィルム Kodak 320T  800T

上映サイズ 1:1.66 ヨーロピアンビスタサイズ

撮影報告〜「まぶだち」 映画撮影2002年No.152より

 

古厩監督の「この窓は君のもの」を監督協会新人賞の授賞式のとき見て、面白い人だな、ぜひ仕事してみたいと、思いました。その後、十文字映画祭などでお会いして、ますます一緒にやってみたいと思っていた時に、今回の話しがあったので、喜んで顔合わせにでました。それが5月ぐらいで、学校の夏休み中に撮影するということでした。

 

最初にプロデューサーから「撮影と照明を一人でやってくれ」いわれて、「はい、分かりました」といったんですが、台本を読んでみるとナイトシーンが多いし、コンパクトな手持ちの照明機材だけではさばききれないので、撮影助手は一人でいいから、照明の人をつけてくれ、それと大掛かりな夜間ロケの時は応援を呼んで欲しいと要請しました。それでキャメラをオペレートしながら露出計測もやるという、格好よくいうとヨーロッパのDPのような仕事になりました。フィルムは16mmで、コダックの320Tと800Tです。800Tは拡大してスクリーンで見ると、粒状性が荒くなりさすがにしんどかったと反省しています。

ほとんどノーマル現像でいったのですが、教室の外向けで、向かい側の校舎が真っ白に飛んでいる時などは、その場で判断して減感現像にしました。

最初にもらった台本は長いもので、決定稿までいろいろありました。出来上がった「まぶだち」は前編で、大人になった後編というべき部分が必要かどうかという議論もあったのです。最後は監督の「一応総てを撮りたい」という考えで、今の形にになりました。

ロケハンの時の見た長野県飯山は、本当になんにも無い街だなと、正直思いました。特徴が感じられなかったのです。映画の中に自由の女神の像が登場するのですが、あれは別に台本の中にあったわけではなく、監督が「なにか面白いものが立っている」と発見したのですが、べつに話し合って使うことにしたわけではありません。

機関車の上に子供達が居るシーンがあるのですが、バックのいい所に、あの像がはいってくるので、あれをちょっと狙ってみるかということになったのです。あの自由の女神像の生かし方は、最初から計算していたわけではないのですが、うまくいったと思っています。

ラストシーンは、高いところにしようということで、ロケハンの時、別の候補地があったのですが、順撮りしていくうちに、やっぱりラストは、あの自由の女神像でしょうということで、現場ででてきたアイディアです。

古厩さんは、撮りながら、どんどん内容をふくらませていき、台本も追加したりする方です。僕もそういった方法は好きなのです。

台本の中でいくつかある、先生が生徒を説教するシーンが、どう撮ればいいのか一番なやみました。なければいけないシーンだけれど、普通に撮ると面白くないでしょう。先生と生徒をカットバックするのを、考えているうちに、聞いている方のリアクションがら撮ろうと思ったのです。本当は2台のキャメラで同時に撮るのが一番いいのでしょうが、予算もありませんから、先生に説教させておいて、生徒のリアクションをいっきに撮りました。3テイクでしたか、子供たちの表情がうまく掴めたと思っています。

シナリオは印象としては、先生対生徒の話になっています。それはもち論そうなのですが、僕自身はサダトモ(沖津和)テツヤ(高橋涼輔)に思い入れが強いのです。周二(中島裕太)という可愛い仲間が死んだあとのシーンが、撮影していても一番すきでした。映画にないシーンをもっと撮ったのですが、残念ながらカットになっています。そういう意味からいうと、お客さんにつたわるのは、一部分だという感覚があります。しかし監督が今の形に完成して、お客さんの反応もいいのでこれでいいのだと納得しています。

一番大変だったのは、周二が橋の欄干を歩いていて、川へ落ちるシーンでした。橋の上に体操の平均台を置いて、キャメラアングルで欄干とだぶらせて見えないようにして撮りました。よく見るとバレているのですが、許してもらえる範囲でしょう。本当はCGで消す予定だったのですが思いのほかうまくいきました。

欄干を歩く周二は、地元の中学一年生で、街にまいた出演者募集のビラを持って監督に会いにやってきた面白い子なのです。素人ですから万全の上にも万全な安全態勢を作り上げておかないけない訳です。フレームぎりぎりの河原側にイントレをたてて、マットをしいておきました。シーンとしては、なんということもないシーンなのですが、手間と時間は充分かけました。

ライティングはオープンのナイトシーンが多かったので、応援の人を頼んでも大変でした。それと理科準備室に学級委員の子が呼ばれるシーン、実は俳優さんの演出上の理由でのリテイクが使ってあるのですが、最初の撮影では、顔が見えなくともいいと逆光で狙ってみたのですが、二度目のリテイクは別アングルから撮ったのです。ほんとうは、最初のテイクとうまくミックスして編集で使って欲しいという気はありました。これはキャメラマンの愚痴でしょう。

このあいだ、「いちばん美しい夏」(ジョン・ウィリアムズ監督、早野嘉伸 撮影)を見て、「本当になにもやっていない」と思いました。もち論なにもやっていない訳ではなく、きちんと台本を読んで、狙ってはいるのでしょうが、ここは狙いましたよとみえる所がない。フレームといい、光といい、すごくオーソドックスなのに見る人を魅了する力がある。キャメラマンにお客の注意を引いてやろうという意思を感じられないのだけれども、見入ってしまう。ああいう不思議な力というのは素晴らしいと思いました。今後はああいう所をめざしたいと思っています。

 

プロデューサー 仙頭武則

監督・脚本 古厩智之

撮影助手 橋本彩子

照明 松隅信一

録音 畑幸太郎

美術 須坂文昭

タイミング 三橋雅之(IMAGICA)

機材 映像サービス 日本照明

キャメラ AATON XTR スーパー16

フィルム   Kodak  Vision320T 800T

上映サイズ 1:1.66 ヨーロピアンビスタサイズ

インテリア・デザイン「TOKYO!」〜「映像+」04より

「今まで、フィルムをこんなに贅沢に回した映画はなかった」

 

2007年6月の頭ぐらいにビターズエンドの定井さんから電話があり、ゴンドリー組に加わりました。実はその前に、カラックス組でキャメラマンのオーディションがあって、僕も候補に上がっていた。結局カラックス組はフランスからキャメラマンが来られたのですが、その流れです。

 

監督と初めて会ったのは9月。決められた日に会いに行ったのですが、ちょうど監督が「雨降らし」など撮影の縮小を求められてプロデューサーと交渉の最中、会えたのは2、3日後でした。

やっぱりミシェルはプロです。予算が少なくても譲らない。自分の作品は残るものだから、納得いくものを作りたい、自分と喧嘩したい人は辞めてくれと言ってました。

監督が気に入ったロケ場所に、制作部からNGが出たりしても「ここで撮りたいんだ」って。新橋のガード下撮影など、許可が下りづらいところで撮りたがる。ガード下の朽ちた薄汚い緑色や、パチンコ屋のネオンがギラギラしてるのが面白いとね。朝6時から3時間くらいかけて、通勤ラッシュぎりぎりまで新幹線や通行人、パチンコ屋のライトの点灯などを何度も撮りました。

ロケの帰りに「ヒロコが電車の中にぽつんといるシーンが欲しい」といきなり言い出したこともあって、その時は小田急線と新宿西口の改札で撮りました。スタッフは楽しんでやってましたが、最後にプロデューサーが怒って叫んだ(笑)。「いつまで回しているんだ!」って。でも僕は面白がって、監督に合わせようと思っていました。逆に、監督はこういうカットを喜ぶんじゃないかと思って、ビルの隙間からエキストラを撮って見せると使ってくれたり。そういう部分はクリエーター同士という感じでした。他のパートもそんな感じだったと思います。照明も美術も監督と一緒に自主映画をやってるような感じ。最後に監督から「猪本は良かった」「ハリウッドだったら考えられない」と言ってもらえました。

ミシェル・ゴンドリーが好きなのは、いかにもCGでやった綺麗な感じじゃなくて、人がやっているアナログ的なところ。たとえば劇中劇の白黒映画に、タバコを吸ったら男のシワがなくなる、という小細工があるんです。監督がビョークのPV撮影で1週間NYに戻っている間に、原作者ガブリエルが監督になって撮ったのですが、ゴンドリーから1931年の「ジキル博士とハイド氏」での変身シーンを見るよう、宿題をだされて。赤と緑のフィルターを使ったんですよ。白黒映画だから、赤のメイクをして赤のフィルターをかぶせると見えなくなり、緑のフィルターだと黒く見える。それを実験をしてみた。CGでやればリアルで綺麗になるんですよ。でもアナログだと重さがあるっていうのかな、面白がっていました。

あとは「ビルとビルとのギャップ、隙間が面白いんだ」「電柱のトランスだとか、ガスメーターがずらっと並んでいるのがいい」と気に入ってました。映画の中では、彼が面白いと言うモノを強調して撮っています。

 

監督は、よく言われますが12歳の少年でした。ロケハンとか撮影の時にずっと「うんこ」とか子どもの下ネタばっかり言ってるんです(笑)。暇だとよく1人遊びをしていました。手首に時計の絵を描いて腕時計と言ったり、小学生みたいにコンテ用紙の裏に落書きをいっぱいしてたり(笑)。操演も自分でやりたがる、簡単なやつは本番でやって、子どもみたいに純粋に楽しんでましたね。

 

自分で何でもやりたがるミシェル

 

 

●混在する光

 

ゴンドリー監督から最初に、色んな色が混ざっている東京が撮りたい、と言われました。蛍光灯の青緑な色、タングステンや自動車のテールランプの赤、それらがミックスな感じが面白いとデジタルカメラで撮ったイメージを見せてくれて。

ヨーロッパのように色がアンバー系に統一されてなくて色んな光があることを面白がっていた。だから部屋のセットもタングステンがあったり蛍光灯があったり、外から黄色い光が入ったり、セットの中でアラームの青い光が点滅したり、と色んな光が混ざった感じを作りました。普段、僕らがライティングをするときは、1つの狭い空間の中でミックス光にするというのはあんまりない。オレンジの光と蛍光灯の青緑の光を混ぜると女の子の肌の色がきれいに出なかったりするので、劇映画を撮る時はどちらかに統一するんです。

監督はあえて統一しないのがいい、どんどん冒険してやってくれ、建物、風景、食べ物すべてに統一性がないとこがユニークで個性的でいい、と。新しい物があって古い物があり、1つ1つのものが主張してるのが面白いと、彼が言うんですよ。

アケミの部屋の全体の照明は、自然光にこだわりましたね。窓から自然光が入っているように見せるため、今回は上からの照明をつけず、セットに天井を付けて窓の外からライティングしています。

 

 

         ●撮影方法

 

現場ではテストもリハーサルもなし、ヨーイドンでどんどん撮る。撮りながら「マッサー、右振れ!」「ストップ」とモニターを見ながら思いついたことを言うんですよ。絵コンテは合成シーン以外、丸に点、みたいな簡単なもので、描かない時もありました。1つの演技も正面、横、次はヒロコだけ撮ろうとか、編集の幅をとるような感じです。撮影は長回しで、演技が終わってもカットと言わない。カットするとメイクさんや衣装さんが入って手直ししたり、間が開いてしまうから。スタッフを誰も入れないで役者に最初の位置に戻ってもらい、衣装を脱いだ役者さんは自分で着て、また最初から撮る。そのバタバタを監督は面白がってるというか、途中で台詞が詰まっても「じゃあそのちょっと前からやろう」と。その間カメラはずっと回していて、同録だからみんな静かにしてるのに、外からどんどん喋ってくる(笑)。

撮影は全部大変でしたが楽しかった。雨降らしのシーンは運転している彼らの主観POVなので、にじんだ画面にするため、カメラが車内に入ってガラス越しに撮影しています。会話のシーンは1カットで延々と撮り、歩いてる会話シーンはドリーで延々と付いて行った。アケミの部屋を真俯瞰で撮るため、クレーンも使いました。駐車場のシーンでは車と車の隙間が30cmもなかったので、幅25cmくらいのタイヤのドリーに僕が乗って、会話を撮りながら細い隙間を進んだ。本当はステディカムを使いたかったんだけど値段が高いので。

スケジュール的には強行でもなく、全部ちゃんと終わりましたね。最初の雨降らしのシーンは夜から朝まででしたが、それ以降は週に1日は休みもあって。中盤以降、撮影をしながら監督が「こういうのをやりたいんだけど、お金がかからないですか?」って聞いてきたのは可哀想で…みんなが色んなこと言うから、最後はお金を気にしてました。

 

●機材について

 

カメラ機材はアリフレックス535Bの1台だけです。映画としてフィルムで仕上げることを、監督は最初から希望していました。予算縮小で一時は16mmでやるという提案もあった。でも監督が35mmでやりたいと譲らなくて。

クラインクイン前日に突然、今回はDI仕上げでやりたいと言いだして(*デジタルインターメディエイト:一度フィルムで撮ったものをデジタルにフィルムスキャンしてCG加工し、デジタル上で色やトーンをいじる「グレーディング」すること)。それで急遽、ゲートをフルゲート(通称スーパー35)に変えた。フルゲートはサウンドトラックの情報が入ってる部分も使うので面積が広く、サイズをいじったり、マイクがバレたりしても、編集でトリミングできるんです。通常日本では大作でないとやらないんですが…クランクイン前に、雨の渋滞の実景を通常のビスタで撮っていたので、後で引き延ばしました。まさかスーパー35にすると思わなかったから(笑)。最終的なフォーマットは普通の1:1.85、アメリカンビスタです。

使ったフィルムは10万2千600フィート(19時間)。普通は完成の尺の5~8倍しか撮らないですが、今回は33倍です。初日が終わった時びっくりしましたよ。こんなに回したらお金がって話になったんですが、監督の演出法だから最後までやりたいようにさせてました。

セットはドリーかフィックスで撮影しましたが、合成シーンはドキュメンタリータッチで撮ったような空気感、臨場感が欲しいと、手持ちカメラで撮りました。本当だったらモーションコントロールカメラで何度も撮ったり、空舞台を撮ったりするんですが、イージーリグを使って、カメラを吊って撮影してます。

映画「たった一度の歌」撮影助手 高木泰宏

2017年の3月に卒塾を果たして間もない僕が、初めて助手として仕事をさせてもらったのが、この宮武監督の「たった一度の歌」という作品でした。この度は猪本カメラマンのご厚意により、この撮影報告を書かせていただくことになり、大変嬉しくもあり、また恐縮に思っております。以前から自主映画を作ったり、手伝ったりしていたことはありましたが、実際にお金をもらってプロの現場で仕事をするというのは、全くの初めてだったために、撮影部はもちろん、現場の各パートの皆様にもご迷惑をおかけすることとなってしまいました。もっと経験を積んで、知識や技術を学び、皆様にご迷惑をおかけしないようになりたいとおもいます。

 

 さて、このようにページをいただいたのですが、初めて助手になった僕の立場ではあまり偉そうなことも書けず、また、カメラマンの皆様に参考になるようなこともおそらく伝えられないでしょうが、現場で見たことや感じたことを素直に書き、その雰囲気の一端でも感じ取ってもらうしかないと思い至りました。稚拙で申し訳ありませんが、思ったことを順に綴っていきたいと思いますので、何卒お付き合いお願いします。

 

 撮影がクランクインしたのが、3月も末のまだ肌寒い季節で、冷たい「赤城おろし」の吹きすさぶ中、埼玉県の本庄というところで撮影が始まりました。

メインキャメラはパナソニックのバリカムLTで、Bキャメとしてソニーのα7s、その他パナソニックGH4、さらにBlackMagicポケットシネマなど計4台のカメラを様々な用途によって使い分けるという、助手デビューとしては少々難易度の高い現場だったかもしれません。

予算の関係もあって、スケジュールがタイトだったので、スピーディに撮影をする必要があり、またエキストラを使ってのコンサート・シーンがあったために、BキャメCキャメが用意され、またスタビライジングの効いた手持ち撮影のために、コンパクトでそこそこ高性能なカメラが用いられました。これら全ての操作方法や設定方法を助手としては完全に覚えなければならず、大変な思いもしましたが、返って様々な種類の機材に触れる良い機会に恵まれていたとも言えます。

 

カメラマンの猪本さんは、これら異なるメーカーから成る複数のカメラを巧みにオペレートされており、流石だなと思って感嘆しながらその仕事を拝見させていただきました。民生品やハイアマチュア用の機材も安価で高性能になってきている昨今の流れの中で、良いものをいち早く取り入れ、予算に応じて適所に使っていく姿勢が素晴らしいと感じました。この撮影の後にも何度か猪本カメラマンとはお仕事をさせてもらいましたが、新しい機材に対するアンテナを常に張っておられ、貪欲にそれら新しい物を取り入れようとされているのだなと、つくづく感心させられます。デジタルの映像技術は日進月歩でめまぐるしく進化していきますが、それに対してちゃんと歩調を合わせることができ、なおかつその中から使えるものを選ぶことができるということは、すごいことだと思います。それはただ単に新奇で物珍しい映像が撮れるというだけではなくて、監督が欲しがっているイメージに出来るだけ応えようとする姿勢なのかなと、僕などがいうのも少々おこがましいのですが、そう感じてしまいました。

 

一方助手デビューした僕の方はといえば、そのスピーディな撮影に全くついて行くことが出来ず、チーフの先輩に指導されるも上手くいかず、気ばかりあせってガチャついてしまい、初回現場の手酷い洗礼を受ける羽目に陥ることになります。猪本さんは、「現場でガチャついている人がいると、それが現場全体に伝染してしまい、何か事故が起こったりする」のだと言っていました。余計な心配をカメラマンさんにさせてはいけなかったなと反省をしたのですが、もしこれを読んでいる塾生の人がいれば、この言葉を覚えておくといいかなと思います。

 

ただ、幸運なことに、そんな僕の空回りぶりがあったにもかかわらず、撮影中は大した事故もなく進んでいきました。そのうち撮影も佳境に入り、本庄市のコンサートホールで、観客役のエキストラを入れたクライマックスのシーンにさしかかり、その現場の雰囲気は緊張感に満ちたものになってきて、そのピリピリ感は経験の浅い僕にもひしひしと感じとれるほどです。

 

メインカメラの脇に座って、この時僕は本気の役者さんの本気の芝居をすぐ間近で見ました。それは間違いなくこの作品の中で一番観客の心を打つ場面であり、映画の’肝’です。こんなにも間近で、本物のソウルフルな演技を見ることができるということは、究極の「役得」というもので、(主演の高橋和也さんの演技には本当に圧倒されました)撮影部という仕事の醍醐味でもあると思います。猪本カメラマンは、はたから見ても分かるくらい深く集中され、それでいて冷静にそれを撮影されていました。僕がもし仮にその立場だったら、緊張して何も出来ないかもしれません。改めて、カメラマンは誰にでも出来ることじゃないのだと痛感しました。何というか、技術や知識だけでない、独特の「風格」のようなものが必要なのではないかと。

 

そしてそれと同時に僕が実感したのは、こんな風な、「ある日ある時ある瞬間の一回きりのパッションの閃きのようなもの」、を映像におさめることがそもそも究極の目的だったのだという、ごく当たり前のこと、そのためにこれまでの準備の全てがあったのだということです。

言われた通りにキチッと手順を踏むとか、無駄を省いて適切に機材を運用するとか、その他もろもろの細かい決まりごとの数々が撮影現場にはあります。でもそれらはみんなこの一瞬を撮るためだったのかもしれない、自分はまさにそこに立ち会っているのだという実感が心にあふれました。それは、どんなにボロカスに叱られても、朝から晩まで働いてズタボロになっても、改めてクリエイティブな現場、「映画の現場」はどこまでも素晴らしく楽しい職場なのだという実感です。みんなで一つの作品を作るという喜びが、現場にはみなぎっていて、それは工場で機械の部品を作っているのとはわけが違うのです。

JSCの育成塾に通って本当に良かったことは、技術や知識が習得出来たこと以外にも、この様な素晴らしい「映画の現場」で働く人達の「仲間」の一人になれたことだったのかもしれません。

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